2018年




ーーー5/1−−− コシアブラを採る


 
今年は春の訪れが例年より10日ほど早い。花の咲き方でそれが分かる。しかし、花だけではなく、山菜も早い。我が家のコシアブラも芽が出たから、例の場所のコシアブラは採り頃になっているはずよと家内が言った。

 例の場所とは、車で5分ほどの伐採跡地である。そこには、丁度良い背丈のコシアブラが、そこかしこに生えている。数年前にそのことを発見し、2年前から本格的に採るようになった。

 雨の日がしばらく続き、気をもんだが、ようやく晴れた朝、現地に入った。歩き回って探したが、ほとんど採られた後だった。やはり知る人はいるのである。採り残しがほんの一握りの収穫だった。そこで、その伐採地跡の先にある林へ移動した。昨年の連休に、帰省していた次女と歩き回って、感触を得ていた場所である。

 ここでは、レジ袋に半分ほどの収穫を得た。採りやすい環境ではないが、そのぶん人が入っていない。注意深く探せば、かなりの本数のコシアブラが生えている。林全体にヤマウルシが茂っているので、それも人の進入を制限する要素となっているかも知れない。

 採ってきたコシアブラをを見せたら、家内は喜んだ。早速、天ぷらやコシアブラ飯を作った。それでも余ったので、おひたしや煮物など、新しい料理も試してみた。いずれも美味だった。山菜はいろいろあるが、コシアブラが一番好きだと家内は言う。その家内が、ちょっと香りに参ったというくらい、コシアブラ三昧となった。

 里の林のコシアブラは、もう終わりだと思われた。場所は裏山に移った。体力トレーニングのために上っている裏山だが、昨シーズンからコシアブラの木を見るようになった。それまでは、この山にはコシアブラなど無いと決め付けていたほど、目にしなかった。ところが、だんだん見る目が出来たのか、林の中に一本、二本と見付けるようになった。

 昨シーズンは、コシアブラの木を見付けただけで終わったが、今年は収穫をすることができた。ただ、前述の里の林と違って、裏山のコシアブラはある程度成長した木がほとんどである。梢の先に丁度良い芽を見付けても、地面から高過ぎて手が届かない。まだ幹が細い木なら、グイッと曲げて先端を引き寄せ、芽を摘むことが出来る。そのような木を探すしかないのだが、それに適するのは、幹の直径が7〜8センチまでである。

 垂直に生えている木を曲げて、先端を地面まで持ってくるというのは、力学的に興味深い課題である。ポイントは、少しでも上を握ること、そしてすこしでも根元から離れた場所に引っ張るということ。まるで棒高跳びの跳躍ようにして、仰向けになり、幹を握って体重をかける。そうすると、次第に幹は曲がり始める。もちろん簡単にいかない場合が多い。曲げようとする先に別の木が立っていれば、邪魔される。傾斜地では、幹の育ち方に癖があり、思うような方向には曲がってくれない。

 なんとか工夫をして、やっとのことで曲げることが出来、梢の芽を収穫した時の喜びは格別である。曲げが難しい木は、それなりに成長しているので、付いている芽も多い。一本の木から何十個もの芽を収穫する事もできるのだ。

 少々難しい課題を乗り越えて、レジ袋一杯の収穫を片手に山道を下る時の気持ちは、例えようが無いほど幸せである。


 


ーーー5/8−−− 出先でチャランゴ


 
昨年の秋から、チャランゴという楽器を弾くようになったことは、すでにこのコーナーの記事に書いた。楽器を始めてある程度の月日が経つと、人前で演奏したくなるものである。もちろん不特定多数の人を集めて演奏をする度胸など無いが、寛容な聴衆である知人、友人の前ならば、チャンスがあれば演奏を披露したいという気持ちになる。

 人前で演奏をするというのは、一つには腕だめし、度胸だめしの意味がある。普段の練習ではかなり上手く弾ける曲が、人の前ではミスの続出という情けない結果になることがある。要するに上がるという事なのだが、その現象はなかなか興味深い。何故人間の行動にそういう現象が付きまとうのか、考えても分からないが、とにかく興味深い。それはさておき、人前で平常心を保ち、ちゃんと演奏をやり遂げることができれば、一皮むけた、あるいは一つの壁を乗り越えたと言える。

 また、音楽に取り組む常道としても位置付けられる。日々の練習は何のためにするのか?、と聞かれれば、人前で演奏するためと答える。逆に、何のために人前で演奏するのか?、と聞かれれば、日々の練習の励みになるからと答える。練習と発表の関係は、そういうものである。音楽を奏でることの理想は、聴き手との心の交流である。それが目標であり、また励みなのである。自分一人でコツコツと練習を重ね、誰に聴いて貰う事も無しに満ち足りるという人もいるかも知れない。しかし、そういうやり方だと、私のような凡庸な者は、長続きしないというのが、いわば定説である。

 4月中旬に、高遠在住の友人に誘われて花見をした。友人宅のそばのグランドへ行き、桜の大木の下にシートを広げて、焼肉をやった。それだけならいつものパターンだが、今回はチャランゴを持参して弾くことにした。事前にこの計画を打ち明けたら、家内は「酔っ払って楽器を壊したらたいへんよ」と釘をさした。それは私も気になったが、そんな事は起きないだろうと結論付けた。楽器を持つ者は、体の一部のように、それをいたわるものである。もっとも、酔っ払って体にダメージを食らう事もしばしばの身で、偉そうな事は言えないが・・・

 桜の木の下での演奏を、友人に動画で撮影して貰った。YouTubeにアップしてあるので、「創作木工家具の大竹工房」で検索すれば見れるはずである。まったく新鮮な経験で、楽しかった。撮影してくれた友人S氏は、アマチュアカメラマンとして活躍している人だが、動画の撮影は初めてとのこと。それでも、なかなか良い映像を撮ってくれた。

 それから半月経って、ゴールデンウィークに千葉から友人を迎えた。初日は松本スカイパークでマレットゴルフを楽しみ、二日目は信州の名山である虫倉山に登った。名山の風格がある山だが、一時間ちょっとで山頂に至る。これまで何回も登った山なので、コースの状況は分かっている。そこで、チャランゴを担いで登り、山頂で演奏をするという事を思い付いた。

 チャランゴは、ギターに比べればはるかに小型の楽器である。背中にハイキング程度のザックを背負い、そこにチャランゴを斜めがけにしても、さして邪魔にはならない。山頂まで無事に到着した。山頂には一組の老夫婦がいて、昼食を取っていた。その人たちが立ち去るのを見届けて、演奏を開始した。これもYouTubeにアップしてあるので、ご覧頂きたい。

 山に登り、その頂上でチャランゴを演奏する。その楽しさを、存分に味わった。これまで、山の上で笛を吹いたことは何度かあった。いずれも楽しい思い出であるが、楽器が違えば趣も違う。チャランゴという新たな楽器を奏でる事は、また新鮮な体験となった。

 これで一つの実績が出来た。勝手知ったる山なら、チャランゴを担いで登り、演奏できるという目途が付いた。これからは、チャランゴを担いで山を放浪し、行く先々で演奏をするという楽しみが生まれそうである。そういう機会での、人との出会いも楽しみである。また、山に限らず、海でも、湖でも、興が乗ったシーンで演奏をするという事も楽しかろう。

 それにつけても、まずは演奏のレベルを上げなければならない。日々の練習を頑張ろう。練習は人前で演奏をするためなのだから。


 






ーーー5/15−−− クレジット・フェイス


 
だいぶ前のことだが、世界的に有名な木製玩具メーカーの社長、スイス人のN氏と、木工関係のイベントで同席した。雑談をしているとき、こんな話が氏の口から出た。

 ニューヨークに出掛けたとき、高級品の店に入った。奥様の好みに合う品があったので買おうとしたが、クレジットカードを忘れていることに気が付いた。持ち合わせの金では足りないし、クレジットカードを取りに戻る時間は無い。店員に向かってN氏は、残念だが買えない、「I don't have a credit card with me 」だと言った。すると店員は後で送金してくれれば良いと言った。驚いたN氏が、本当にそれで良いのか?と念を押すと、店員は笑顔で「You have a credit face」と答えたという。

 あなたの顔を見れば信用がおける人だと分かります、と言うことである。

 なんだか素敵な話だが、実際にそのような対応をするのは、なかなかできない事ではあるまいか。初対面の人を外見で判断して信用するということは、わが国の社会習慣にはあまり無いように思う。いくら身なりが立派で、金持ちそうに見えても、人物が信用できるとは限らない、などと考えるのが普通である。外見で信用するという事は、逆に外見が悪ければ信用しないという事になる。それでは公平さに欠けるのではないか、ということも考えてしまう。

 しかし、そういう心配や理屈を超越して「You have a credit face」の一言で片を付けた店員の対応に、ちょっと照れくさくなるような格好良さを感じた自分であった。





ーーー5/22−−− 次女の結婚式


 
5月13日に神戸で次女の結婚式があった。

 前日の早朝、自宅を出て、高速バスで大阪に向かった。列車に乗り換えて三宮駅に着いたころから、腹の具合がおかしくなりはじめた。駅で次女と落ち合い、徒歩でホテルに向かったのだが、腹痛はだんだん強くなり、ホテルの部屋に着くなりトイレに駆け込んだ。家族は、神経性の腹痛かしらと言ったが、私は、別に何も神経的なプレッシャーは無いと否定した。もっとも、本当にそうであったかどうかは、分らない。 

 大阪の長女家族と、東京の息子が、順次到着し、メンバーが全員揃った。予約してあった近くの料理屋で夕食会を催した。ホテルの部屋で2時間ほど横になったので、私の体調は回復したようだった。普通に食べ、酒を飲んだ。ホテルに戻り、早く寝るつもりだったが、息子がもっと飲もうとしつこく言うので付き合った。息子も、妹の結婚式を翌日に控え、何か心にあったのかも知れない。

 翌朝は、予定通りに起床し、シャワーを浴び、朝食を取って、ホテルを出た。しかし、前夜の深酒のため、頭が重かった。娘の結婚式の朝としては、問題含みのコンディションである。しかし、大切な行事に望むときは、非の打ち所が無い万全なコンディションよりも、多少の不安を抱えているくらいの方が、余計な緊張をしなくて済むということもある。などと自分に言い聞かせた。

 式場の着替え部屋に入ると、私が着るべき礼装一式が無かった。係りの女性にそれを伝えたら、確認してまいりますと言って去った。部屋の中で着替え中だった新郎の叔父が、「服が無かったら大事件ですね」と言った。ほどなく係りが、別便で届いていた貸衣装を手に戻ってきた。

 式の前に、親族紹介の場が設けられた。そこに新郎新婦が同席しなかったのが、ちょっと残念であったと、後で家族が言った。長女の結婚式の時は、新郎新婦を含め、全員が揃ったところで紹介が行われた。それが記憶にあるから、比較してしまうのである。息子は、新郎と言葉を交わす機会が、その日一度も無かったと別れ際に言った。しかしこういう事は、式場の方針によって違うのだから、仕方ない。

 式の開始に当たり、チャペルのドアの前でスタンバイしていたリングガールのはるちゃん(孫、三歳)が、しくしく泣き出した。極度の緊張によるものだろう。見ていて切なかった。しかしはるちゃんは、ちゃんと役目を果たしてくれた。そのけなげな責任感に、私は感動した。

 式は、厳かな中にも優しさを感じさせる、素敵なものだった。パイプオルガンとバイオリンの演奏にコーラスも加わって、耳にも心地良かった。ただ、私の個人的な希望を言えば、賛美歌を最後まで歌いたかった。

 披露宴は、二人の手作り感が溢れて、和やかで親しみのあるものだった。新婦の親としては、来賓へのお酌回りなどに忙しく、料理の味も分らない有様だったが、とても美味しかったという感想が聞こえた。ご来賓からお祝辞を頂き、また新婦がお客様たちと歓談するシーンなどを見ると、娘が多くの素敵な方々と交流を持ち、助けられ、支えられて成長してきたことが、あらためて感じられ、感無量であった。披露宴が終わったとき、長女の旦那が「とても良い結婚式だったと思います」と言ってくれた。それがまた、嬉しかった。

 次女は、三番目の子であり、上の子たちとちょっと歳が離れて生まれたこともあり、自分ながら甘く接してきたように思う。子どもの頃、息子からしばしば「お父さんはA子を甘やかし過ぎだよ、A子のために良くないよ!」などと言われたものであった。同居していた私の父は、輪を掛けて次女に甘かった。二世代住宅のスタイルなので、食事は別々だったが、次女は食事時の話題が姉、兄に偏って退屈すると、スーッと席を立って爺婆の部屋へ逃亡した。そこでは、女王様のような待遇を受けるのだった。

 甘やかされて育ったせいか、小さい頃は内弁慶で、家の中では横暴だったが、外へ出ると内気な子だった。それが年を経るにつれて、いつの間にか世渡りが上手くなった。自己と外部とのバランスを取るのに、独特のセンスがあるように見受けられた。その決め技は、甘え上手ではなかったかと思う。その甘え上手を生かして、これから穏やかで優しい家庭を築いて行ってくれればと思う。

 長女の時もそうだったが、娘が結婚しても、別に寂しいと言う感情は無い。家内も同じ気持ちだと言う。大学へ進学して家から離れ、10年近く経つ。その間、自宅に帰ってきたのは、年に数日ほど。離れて暮らすのに慣れているから、今さら寂しいと言う思いも無いのである。

 しかし、娘の親として結婚式を迎えるという事が、これで終わってしまい、人生においてもう二度と経験できないと思うと、あらためて一つの節目が過ぎ去ったように感じた。また一つ出番が終わり、徐々に表舞台から消え去りつつある我が身に、一抹の感傷を覚えなくもない。

 その一方で、新たな楽しみが待ち受けているという予感もある。長女の家族は、毎年二回ほど穂高の我が家へ遊びに来る。その折に、一緒に山に登ったこともある。次女夫妻も、そのうち我が家に来てくれると思う。その時は、一緒に山に登ってみたい。とりあえずは、それを楽しみにしている。

 



ーーー5/29−−− 拍手をして叱られた


 モーツァルト交響曲全曲演奏会というイベントがある。松本モーツァルト・オーケストラというアマチュア合奏団が、プロの常任指揮者の指導のもと、モーツァルトの交響曲全てを演奏するという取り組みである。10年前から年に二回のペースで演奏会を行い、既にほぼ全てをやり終え、残すところ5曲ほどになっている。

 私がこの企画を知ったのは数年前だが、その後協賛会員になり、毎回家内を伴って足を運んでいる。この5月にも演奏会があった。今回は「ジュピター」が演目に入っていたので、いつも以上に期待が高まった。

 たいへん熱の入った、素晴らしい演奏だった。特に第二楽章は、息が詰まるような熱演だった。このオーケストラは、 緩徐楽章の表現に優れたものがあると私は感じている。それは指揮者のY先生のこだわりによるものだろうか。ゆったりとした曲想の中にも、緊張感と躍動感が溢れていて、とても魅力的だ。楽団からその演奏を引き出すために、指揮者は全力を投入する。それが素人の私にもはっきりと分る。目前に展開される指揮者と楽団の真摯な共同作業は、一つの芸術世界が生み出されて行く、創造の現場そのものを感じさせた。

 第二楽章が終わった時、私は拍手をした。交響曲の楽章間に拍手をするのは、別に遠慮すべき事ではないというのが私の認識であった。演奏に格別の思いを抱いたら、機を逃さずに拍手をしても良い、あるいはすべきであると思ってきたのである。しかし、拍手をしたのは私だけであった。ちょっと場違いな感じだった。前方の座席の老人がチラッとこちらを見て、フッとさげすむような笑いを漏らした。その一方で、舞台上の指揮者とコンサートマスターは、客席に振り向いて軽く会釈をした。私にはそのように見えた。

 演奏会が終わったとき、後ろの座席の男性から声をかけられ、マナーが悪いとたしなめられた。楽章間に拍手をするなど、マナー違反だと言うのである。私は「失礼をいたしました」と引き下がった。そんな場で言い合いをするのは無粋だし、他人に不快感を与えたなら、まずは謝罪しておけば良い。しかし、内心は釈然としなかった。私はただ素晴らしい演奏にエールを送りたかったのである。演奏者と感動を共有したかっただけなのである。それなのに、頭ごなしに非難されて、少々ガッカリした。

 帰宅してネットで調べて見たら、楽章間に拍手をすることはマナー違反だとする記事が目に付いた。そういうことをすると、演奏家が迷惑をする恐れがあるとも書いてあった。途中で拍手が入ると、緊張が途切れて調子が狂うとの事だった。

 反対に、演奏に感動したなら、楽章の間でも拍手をして良いという記事もあった。本場海外の演奏会ではよくあることだし、演奏家と聴衆が一体化した盛り上がりになる場合もある。時には、拍手を得た楽章を繰り返して演奏するケースもあると。また曲によっては、ある楽章が終わった時に拍手をするのが一般的になっているものもあると書いてあった。

 先日、この音楽会の事務局をやっているN氏と話す機会があった。私はこの件を伝え、「ご迷惑をおかけしたようです」と言った。するとN氏は、「そんなことは無いと思います」と言った。演奏に感激したら、拍手をするのは自然な事ではないかと。そして、楽団員と会う機会があったら、意見を聞いてみると言ってくれた。

 しばらくして連絡があった。コンサートマスターと電話をする用事があったので、ついでにこの件を問うてみたそうである。返答は「演奏を気に入って拍手をくれるのなら、どんなタイミングでも嬉しいものです」だったとのこと。また、「それほど熱心に聴いてくれる聴き手がいることは、ありがたいし、励みになる」、「これからも、良いと感じた部分があれば、その都度拍手を下さい」とも。そして、聴衆が感動や喜びを自由に率直に表してくれることは、演奏会においてとても大切な事だけれど、それに対して固定観念で非難をする人たちがいるのは残念だ、とのコメントもあったそうである。

 N氏からそのように聞いて、少なくとも演奏家には気持ちが通じたように感じ、私は嬉しく思った。

 しかし、今後はこういうことは手控えようと思う。演奏家には気持ちが通じても、観客席の人々には不快感を与える可能性があるからだ。人には、他人を不快にさせる権利は無い。おとなしく普通にしていれば良いだけの事である。

 演奏会当日、同行した家内はこんな事を言った「ここは東京のような大都会じゃないんだから、周りと違うことはあまりやらない方が良いかもね」。

 「郷に入っては郷に従え」、「出る杭は打たれる」というのは、クラシック・コンサートに於いても例外では無いのである。
 








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